サスペンスドラマ

慶應 通信 レポート

いきなり本題に入るのはNG!

本論はいくつかの節から成りますが、節というものは、結論へのスモールステップです。ですから節ごとに、「こういう話をする」という目的と、「ここまで話を進める」という目標が存在します。

 

しかし実際に節を書こうとすると、「何を書いたらいいか分からない」という状態で困った経験をした事はありませんか?
この原因は簡単なことです。

 

いきなり本題に入ろうとしているからです。

 

大切なことは、自分は今からこういう話をすると事前に読み手へ知らせておく事です。そこで役に立つのが、「節のフレームワーク」です。

 

各節の初めに「本節では〜について述べる」と書きましょう
今回のレポートも、すべての節に、小テーマ(青線の文)と、その小結論(赤線の文)があります。

 

 

第一節:教育と善

 

小テーマ

 

教育の目的は、人を善くすることである。そこで本節では教育と善の関係について考察を加える。

 

 

小結論

 

教育に先立つ善を認めるか、認めないかという違いが、教育にどのような影響をもたらすだろうかということである。

 

 

 

第二節:教育に先立つ善を認めない教育観

 

小テーマ

 

教育に先立って善を認めない立場に立つとき、教育は何ができて何ができないだろうか。本節では、この問いを通して、教育について考察を加える。

 

小結論

 

教育とは、一人一人が善を模索するよう仕向け、不断の自問自答ができるパーソナリティを育む事である。一方、教育の具体的方略を決めることが難しいので、実際の教育現場で活かしにくいという問題の残る教育観であると言える。

 

 

 

第三節:教育に先立つ善を認める教育観

 

小テーマ

 

教育に先立って善の存在を認めると、教育は何ができて何ができないだろうか。本節では、この問いを通して教育について考察を加える。

 

小結論

 

教育とは、善のための手段であるため、具体的方略を作り、実行することである。その一方、善とは何かの再吟味へと我々を動かすことはないため、独善的なものに陥る危険性をはらんでいる。

 

 

 

第四節:善を巡る教育の問題とその解決

 

小テーマ

 

本節では、そのような考察を加えることで、序論に掲げた問いの答えを述べる。

 

小結論

 

まず「教育とは何か」を問うて、教育の理念を想定する。理念というのは、教育のあるべき姿であり、しかも実際の教育現場で実現されるものなくてならない。そこで「どう教育するか」と問うのである。教育を善の手段として問うのではなく、理念のために問うというところがポイントである。そうして具体的方略ができたら実践に移す。実践に移すことで、様々な問題が生まれ、実践可能な理念が見えてくる。ここで捉え直された理念が、新たな実践への指令となる。一連の過程には定められた善というものは存在しないが、だからこそ我々は絶えず善を求めている。これが善を巡る教育の在り方である。

 

 

 

 

このように、一つ一つの節の中で、問いと答えを明確にします。また小テーマを立てておく事は、読み手にとって分かりやすいだけでなく、自分にとって役立ちます。

 

レポートの軸がブレにくくなります。仮にレポートの軸がブレたまま次の節にいくと、最後には必ず大きなズレが出てきます。だから節の最後に小結論を出しておいて、小テーマとの応答関係にブレがないかチェックするのです。このとき、特に問題がなければ、その節は問題なし、次の節へのGOサインが出たということになるのです。

 

小結論を明記しておく事にも意味はあります。
正しい議論をして得た小結論は、次の節以降で、自由に使うことができます。
原則レポートでは理論や断定文を持ってくる場合、根拠となる文献の引用が必要になります。しかし小結論は前節で正しいという証明を受けているので、次節以降では、一つの道具として活用することができるというわけです。

 

節ごとの分析@

それでは、本論の流れを解説していきます。

 

慶應通信のレポートはすべて、テキスト理解→設問に答えるという順番で節立てします。

 

という事は、本論の前半は、ひたすらテキストの内容をまとめるという事になります。これが実際のレポートの中で、どのように行われているか見てみましょう。

 

まずは、第一節です。

 

今回のレポートの場合、第一節の役割は、善を巡る教育の定義づけと言えます。教育と善がどういう関係になっているかを言わなければ、そのあとの話ができないからです。
このことを踏まえて、第一節のこの文章に注目してください。

 

「前者であれば教育とは善の実現のための手段であり、教育の目的から切り離されることになる。したがってどう教育するかが問われる。」

 

「後者ならば教育とは、人間を善い存在に近づけ、より善いものを模索していく過程そのものである。善とは何か、教育とは何かが問われる。」

 

この文は、教育と善の関係を明らかにしています。

 

 

また、第一節の最後の文、「教育に先立つ善を認めるか、認めないかという違いが、教育にどのような影響をもたらすだろうかということである。」が、第二節と第三節を導きます。このようにして後の話題を作るところまでもっていくと、第一節としての役割を十分果たしたと言えます。

節ごとの分析A

第二節と第三節は対になっています。2つセットで見ていきましょう。

 

対になる節どうしは、文体や構成を極限まで近づけるとよいです。今回は、問題提起→長所と短所→特徴のまとめという構成でそろえています。

 

文体も、

 

「教育に先立って善を認めない立場に立つとき、教育は何ができて何ができないだろうか。本節では、この問いを通して、教育について考察を加える。」

 

「教育に先立って善の存在を認めると、教育は何ができて何ができないだろうか。本節では、この問いを通して教育について考察を加える。」

 

第2節と第3は互いに意識して同じ構成にしいることが分かります。
このように対にすることで、自分がこれらの教育観を対に見ていることを読み手にアピールでき、レポートの軸を頑丈にすることができます。

 

 

最終的に次のような小結論が得られます。

 

理念に偏った教だと、「実際の教育現場で活かしにく」く、反対に実践に偏った教育だと、「独善的なものに陥る危険性をはら」むということです。

 

つまり、どちらもダメという事です。
一見答えが出ないように見えますが、まったく問題ありません。ここからどうするかが、考察の腕の見せどころになります!

節ごとの分析B

第四節は、最終節としての役割を持っています。最終節としての一番の役割は当然、結論を出すことです。今回のレポートでは、「人を善くする教育とはどのようなものか」が問いだったので、「人を善くする教育は、○○である」という形の解答を出します。
形が違うので分かりにくいかもしれませんが、第四節で次のような解答を出しています。

 

「まず「教育とは何か」を問うて、教育の理念を想定する。理念というのは、教育のあるべき姿であり、しかも実際の教育現場で実現されるものなくてならない。そこで「どう教育するか」と問うのである。教育を善の手段として問うのではなく、理念のために問うというところがポイントである。そうして具体的方略ができたら実践に移す。実践に移すことで、様々な問題が生まれ、実践可能な理念が見えてくる。ここで捉え直された理念が、新たな実践への指令となる。」

 

 

それでは、どのようにして結論を出すかをお話ししていきます。ここにもコツがあります。
以下の文を読んでください。

 

「善を巡る教育の問題とは、教育に先立って善を認めるにしろ、認めないにしろ、人が本来的に持つ善への欲求を実現できないことである。しかし「教育とは何か」と「どう教育するか」を相補的に組み合わせることで、この教育問題の答えを出すことができないだろうか。本節では、そのような考察を加えることで、序論に掲げた問いの答えを述べる。」

 

 

両方の教育の長所だけ組み合わせて、それぞれの短所を補ってしまおうという発想です。

 

このテクニックは、フレームワークを教えます。

 

最初に対立する二つの意見を散らばせておき、最語に両者のいいとこどりをする

 

たったこれだけです。

 

もちろんアウトラインの段階で、こうなることを決めています。最初から展開を決めることが大切です。
今回のアウトラインは、第一節〜第三節で、しっかりテキストの内容をまとめたあとで、第四節で設問に答えるという形のレポートなので、とても高い評価を得ることができます。

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